緊急事態宣言の延長にみる姑息で歪な社会構造

 まーた、緊急事態宣言が延長するみたいですね。次は6月20日までだとか。気づいたら、対象地域が広がっているし。蔓延防止措置と緊急事態宣言の違いも、結局のところよく分からないし。

 今回の延長は、該当する地域の知事が国に要請したんだとか。確かに、感染者数はなかなか減らないし、病院のひっ迫度も高い傾向が続いているということなので、住民に自粛を続けてもらうためのインパクトのあるメッセージにはなりますよね。ただ、この知事が国に要請する構造が災害の時の激甚災害指定に似ていて、違和感を覚えるわけです。

地震や豪雨で災害に見舞われた地域の知事は、なんとかして国に「激甚災害」に指定してもらおうと必死になるのですが、つまりこれは補助金がでるからなんですよね。復興の予算が、特別枠で国から与えられるのです。この構造にそっくりですよね。つまり、緊急事態宣言や蔓延防止措置によりどのような財政支援を受けているか詳細は調べきれていませんが、かなりの財政支援がなされているはずです。例えば、コロナに関係する地方行政の運営コストや、コロナ患者は原則無料で治療を受けることができますので、その治療費、まあ他にもいくらでも考え付きますよね。国、特に財務省は、こういう臨時の出費を嫌うので宣言や措置の拡大を嫌がっているはずですし、その一方で地元に媚びる国会議員や地方議員が宣言と措置の適用に躍起になっているのも想像にがつきます。我々庶民からすれば、宣言や措置がマンネリ化して、意味があるのか疑問に感じてきているのは大いに理解できますが、上級国民の方々はそんな低次元で問題をとらえていないのです。